日本一きれいな水で仕込んだ納豆
 
三重県産無農薬大豆中粒100%
日本一きれいな水で仕込んだ納豆 自然水納豆 森の番人
農薬を使っていない大豆、汚れていない水、納豆菌が幸せに育つワラ製法・・・。綺麗な自然を昔の良さを思い出させる懐かしい納豆です。納豆菌がストレス無く育っていますので、クセのないとても食べやすく、それでいてコクがあり、さらに良く粘る納豆です。納豆初心者から納豆マニアまで満足していただいている優しい納豆なのです。相性抜群の無添加自然たれでお召し上がりください。
ナチュラルウォーター森の番人仕込み
(平成3年度、12年度、14年度 建設省全国一級河川水質検査第1位に輝く)
三重県産無農薬大豆100%使用
1個 242円
(商品230円+税12円)(賞味期限10日です)
ワラ入り100g(無添加自然たれ、カラシ入り)
「自然水納豆 森の番人 誕生までのストーリー」 奥野 敦哉
私が実家の納豆屋稼業に入り、初めて手掛けた作品がこの「自然水納豆 森の番人」(平成7年完成)です。この納豆との付き合いは多くの皆様との素晴しい出合いに支えられている私の納豆屋人生そのものなのです。

三重県の奥地、近畿のアルプスと呼ばれている宮川村の「(有)森と水を守る会」の“ナチュラルウォーター森の番人”との『コラボレーション』の結晶であるこの納豆がどのように誕生していったのかを順を追ってお話いたします。

大学を卒業した私は学生時代よりお世話になっていました東京は新大塚の珈琲専門店「ばるばど」のご好意で正社員待遇でなおかつ納豆の勉強の為の休暇を自由に取れるという状況をつくって頂きました。珈琲職人修行をしながら納豆の勉強をする日々を過ごさせてもらったのです。

そのような生活を過ごした後、納豆屋となり、直面したのは納豆を取り巻く状況への疑問の数々でした。私が感じた事柄をぶつけたのがこの納豆だったのです。

この「自然水納豆 森の番人」を彩るキーワードは「大きい大豆(中粒)」 「手づくりワラ納豆」 「ほどよい歯ごたえ」 「無添加たれ」 「無農薬大豆(三重県産)」そして「自然水仕込み(ナチュラルウォーター森の番人)」です。

“納豆は小さい粒の方が大きい粒より上等なのか?”
私が納豆屋として実家へ戻ることとなる1995年(平成7年)までの数年、食品業界全般で安い大手メーカー品が喜ばれていました。ブランドの信用は会社の大きさが目安でした。ブランド価値はどれだけテレビCMをしているかが勝負でした。それは納豆業界も同じでした。大手メーカーさんの特売納豆が全国のスーパー売り場を席巻していったのです。そして各大手メーカーブランドは安さと納豆の粒の小ささを競ったのです。当時全国を席巻していたのが水戸納豆ブランドでした。水戸納豆は小粒であり、小粒の方が納豆として価値があるというのがコンセプトで、全国メディアに小粒納豆キャンペ−ンが行われたのです。
地方の小さな納豆屋である当店もその波に飲みこまれていきました。
当店の納豆は元々は大きい粒のワラ納豆が主に作られ、そこに当店の製法の強みもあったのです。しかし、時代は小粒納豆を求め、お客様(小売業)のご要望もあり当店の大豆も年を追うごとに小さくせざるを得ませんでした。

その時、納豆業界は「小粒が上等・大粒は下等で時代遅れ」とされていたのです。

私はここに疑問を感じておりました。私の感じるところ当店では大きい粒の方が美味しい。小粒もたしかに美味しいのですが、小粒はタレの味で左右されるのではなかろうか。大きい粒をしっかりと噛んで、大豆の味を確かめる大粒にこそ納豆の醍醐味があるのではないか?小粒はどちらかというと喉越しを味わう性質なのでは?そう考えると両者同じ土俵に上がる機会も与えられず、大粒だけが低評価なのは変ではないか。邪推までして、大手メーカーさんたちの小粒を売らんが為のものではないか?そう思ってしまったのです。 (注釈・・誤解の無いように・・小粒を否定するものではなく大粒にも価値があるはずとの思い・現在も当店では大粒と小粒の両方を造っています。)

幸い、当店ではスーパー各社様から小粒指導をいただきながらも、昔の味だからと大粒を買ってくださるお客様の存在もあり、大粒も細々とでも営々と作っておりました。当店の運の良さであり、誇りであり歴史です。

ただやはりそれでも納豆は安い価格競争なのです。(注釈・・当時、東京納豆は安い納豆ブランド、つまり大手メーカーさんと値段で張り合う地方メーカーでした。しかしその中でも私は個人的にウチは美味しい納豆を造っていると思っていました。お取り引き先様よりの低価格の卸値の要望を満たすため、原材料が国産から輸入になるのを決断しながらも、納豆の味を落とさない努力をおこなっていたのを学生時代の私は感じていたからです。現在では、通販が多くなったおかげで数年前より「全商品国産大豆100%」に戻っています。)

ここに私は厳しい状況の納豆業界の道に入るにあたり「値段の高さを納得してもらえる・それをどこに出しても違和感のない納豆」を創りたいという考えを持ちながら勉強の日々を過ごすことになったのです。そして自然な流れ、実家に戻ってからの最初の新作納豆はそれはまず自分が美味しいと思っている大粒品種の納豆から始めたいとなったのです。(注釈・・まだまだ小粒納豆が主流の業界ですが、現在、当店の森の番人納豆もその一端に、大粒の納豆で評価を高く受ける納豆屋さんが全国的に増えてきています。)


“ワラ納豆は時代遅れか?”
現在、店頭に並んでいる納豆のほとんどが発泡スチロール容器に入っています。それは悪いこととは考えません。もちろん、当店もpsp容器を使った納豆を作っています。この容器は納豆業界にいくつかの福音をもたらしました。それは・・・「納豆の大量生産ができる=機械ラインに乗せることができる・容器は科学工業製品なのでコストが安い=価格と在庫が安定している・温度管理が楽になる・衛生的である」と言われています。私にも理解できます・・・が、そのまま全く納得して良いのでしょうか?私には引っかかる気持ちが出てしまったのです。それは“文化”です。文化としてのワラ納豆が消えようとしていたのです。裏返してみますと「ワラ納豆は、大量生産ができない・ワラのコストが高い・温度管理に神経を使う・不衛生である」となります。だからワラ納豆は無くすべきだ!と言われているようです。現実問題、その当時はワラ納豆は店頭からどんどん消えていきました。しかし昔から伝承され連綿と作られてきたワラ納豆が淘汰されても良いのでしょうか?私にはワラへの「必要以上の不要論」に聞こえました。

不当に“時代遅れな”納豆の地位に甘んじていましたがワラには納豆との相性の良さがあります。ワラで包み発酵した納豆には独特のうま味があります。ワラにはアンモニア臭を吸い取る働きがあります。確かにアンモニア臭は少なく、ワラの香ばしさがさらに味を加えています。当時大量生産工場は格好良かったが、手作りには手作りの良さがあるはず、信じよう、野暮ったくても。温度管理は納豆職人の仕事、温度管理が難しいのは承知のことです。ワラ納豆は不衛生なはずはありません。先達が長い間に洗練して生き残ってきた方法です。不衛生なら食中毒だらけになります。

専門店としての当店の納豆への考え方は「納豆菌をいかに気持ちよく育てるか」です。私にはワラ発酵と発泡スチロール容器の違いを「ヒトが昔ながらの日本建築で自然のまま生活しのんびり成長していくのと、コンクリートのアパートで日々生活サイクルに追われながら都会で成長期を過ごすくらいの違いがあるのではないか」と思えるのです。もちろん、都会の生活にも良い面があることも解っておりますが、大切な見失ってはならない価値観もあると思えるのです。不当に低評価されているワラ納豆に何とかもう一度価値を再評価してもらえる場をつくりたい。次代に残る納豆をつくってワラ納豆を伝えていきたい。実家へ戻る前の納豆見聞の旅でワラを用意する内職現場へワラ問屋さんに連れていって頂きました。昔は100軒近くあったワラ内職農家さんも今は数軒しか存在しません。全国納豆屋さんのワラ消費量が少なくなり、今の数軒の農家さんもいつまでやるかわからないとおっしゃっていました。私の代でワラ納豆が無くなったら子孫に申し訳ないとの思いと、当店で作る納豆ではワラの納豆が一番美味しいという思いが「私の最初の納豆はワラじゃなきゃダメだ!ワラしかない!最高の納豆をワラで!」と心馳せたのです。 (注釈・・絶滅寸前の状況だったワラ納豆も手作りの良さが見直される世の中となり、現在、ワラで包まれた納豆の“こだわり”は業界において定番となり、高級アイテムとして世に送り出している納豆屋さんが全国各地で頑張っておられます。)


“醤油屋さんが造った納豆タレとは?”
修行時代の納豆見聞の旅は納豆添付タレの分野にも及びました。その時より少し遡って学生時代、上野で納豆業界関係の会合があり、学生ながらも会合と会合後の懇親会に参加をしてその醤油屋さんA氏とお話をする機会に恵まれました。その時までタレは当たり前のもの、メーカーによるレシピと価格以外は違ったところは別に無いと思っていた私にA氏は「納豆のタレには“タレ自体はマズイが納豆の味を活かすタレ”と“タレ自体はウマイが納豆の味は活かさないタレ”の二通りに分けられる。」ということと、「現在、納豆のタレは調味料メーカーが造るもの。つまりカラシメーカーが調合するので味に深みがない。これがウマイ味でなおかつ納豆の味を活かすタレが無い理由である。」さらに、「ウチは醤油屋だから納豆を活かし、さらに味も良い納豆タレを造ることができます。そしてあなたがタレを造りたい時、ウチなら最後まで付き合いますよ。」と教えていただきました。学生の頃の私は自分が将来どのような納豆屋になりたいのか、どのような納豆を造っていけばよいのかを見定め考える時期でしたので、もしその時期が来れば訪問したいな、くらいの気持ちでその場を離れました。

その後、友人Nから「こだわりの納豆を目指すべき」との言葉をもらったりしておぼろげながら目指す方向が見えてきたような感覚を持って納豆見聞の旅に出たのです。思えば醤油屋さんを見学したのは初めてでした。納豆も発酵食品ですが発酵技術は納豆と違い日数が沢山かかる雄大な仕事です。見学が終わり研究会議室に入り、納豆タレのサンプルをいただきました。味は・・・ウマイ!自然な味。納豆に入れて・・・ウン!納豆の味をさしおいて主張するでなく、引き立てている。上手く調和が取れている!なるほど、醤油でこんなに変わるのか・・・しかし、レシピ表を見せていただくと「アミノ酸」が使用されている、残念。その時、ダメで元々「このアミノ酸を抜いてもらえますか?」とA氏に切り出してみました。A氏は「アミノ酸を抜くとその同じ味を天然の素材で再現しなくてはならない・・・いろいろな食材を合わさないと難しいなぁ」とのこと。(注釈・・今でこそ無添加タレはそのジャンルも当たり前にあるのですが、その当時、無添加納豆タレというものを私は見たことがありませんでした。業界でもお客様のニーズになかったと記憶しています。)しかしA氏、「でも、取り組んでみましょう。出来上がったらサンプルをお送りします。」私は楽しみにその日を待ちました。

珈琲修行の道から故郷の方へ戻った私はその後、新しい納豆作成に着手するわけですが、それぞれの部分が組み合わさってくるうちに納豆タレの設定を考えなければならないそのタイミングを知ってか知らずかで、ようやく無添加たれサンプルが送られてきたのです。それはまぎれもなくタレ自体が美味しく、納豆の味も引き立てる無添加の内容でした。しかしA氏より「説明にお伺いします。」と重い声のお電話・・・。後日A氏が松阪までお越しいただいた時のご説明で「ようやく出来たのですが問題が・・・実は、オリジナルとしての数量が・・・。」そうです、当店だけに造るには最低製造量が大きすぎたのです。さらに値段も現在使用している神戸タレの四倍の高値。値段は内容が良いので仕方ないのですが、製造量分を商品に出来なければ迷惑をおかけしてしまいます。考え込んでいる私にA氏は「方法が無いわけではないのです。この開発タレを公開することもできます。」(注釈・・公開とは他のメーカーも使うことを前提とした製造・独占はできない。) 私は「それでけっこうです。このタレを使うところはこだわりのメーカーでしょうから。」A氏は「それでは商圏がバッティングしない所に提案します。それと、せめてタレラベルくらいはオリジナルデザインにさせてもらいますよ。」 かくして、タレ自体が美味しく、納豆の味も引き立てる無添加の“奥野の納豆自然たれ”は完成したのです。


“地元の大豆で納豆はできないか? 〜 三重県産無農薬大豆”

今でこそ“森の番人の納豆”は地元産大豆で造った納豆の代名詞ですが、知る人は知っていますが実は当初の大豆は「中国黒竜江省の山奥で育てられた自然農法の大豆」でした。
子どもの頃、母に「三重の豆で納豆は作れへんの?」と尋ねたことがありました。その時の答えは「大豆(の量)が無いから無理やなぁ。それにこのあたりの大豆はあんまり美味しくないし。」 (注釈・・当時の松阪は大豆用に畑を使う農家はごく希で田んぼの畦に米作のついでに豆をまいていたくらいでした。子どもの頃私は親戚の家でよく枝豆をごちそうになりました。枝豆には美味しかったのですが、母には美味しい納豆を造る豆ではないと感じたそうです。・・現在の三重県推奨品種のフクユタカはまだ存在していません。) 大人になっても作付け状況は変わっていませんでした。また、当時、共同空中農薬散布や画一的な農業指導体制など日本国内の無農薬は厳密には不可能とされていました。情報不足もあったのですが、私は国内の無農薬大豆に信用が置けませんでした。納豆修行の旅で訪問いたしました数軒の大豆商社の皆様のお話からも、今一番信用できる安全な大豆は中国の黒竜江省の山奥で経済的に農薬を使えない自然のままの農村地帯の大豆とのことでした。科学に汚れていない大豆・・・味も最高でした。納豆にするとコクがものすごく生命力に溢れる味で糸の引きも強く長持ちもする最高のものでした。国産より美味しいと思いました。 後に森の番人納豆が完成し取り上げていただいた新聞にも中国黒竜江省産大豆を使用と掲載されています。開発コンセプトは「最もけがれていない水、最もけがれていない大豆、昔ながらの製法(大粒で)、無添加の自然タレ」つまり、納豆文化回帰への挑戦でした。

ようやくの完成品に満足をしていた私なのですが、すぐに転機が訪れます。それは・・・(ナチュラルウォーター森の番人との出会いは次項に譲り、完成後に話を進めますが)森と水を守る会のO社長と一緒に地元収穫祭や山村フェア、物産展などのイベントに出展をし、大好評に試食販売を重ねる中、お客様の感想で「コンセプトは良いがたとえ有機無農薬でも輸入の大豆では残念」という声がチラホラ・・・国内農業の現状に対する自分の感じ方を説明しても、クドい説明にお客様も途中で立ち去ってしまう、イベントが終わる度、周りの方々に高い評価をいただきながらもどこか釈然としない、納得できない自分が居ることに気が付きました。

O社長に胸の内を打ち明け相談すると、宮川村の自然農家Nさんグループを村役場を通して紹介していただきました。(注釈・・その頃、松阪の農業事情は大豆転作奨励の方向に進んでおり、大豆の作付けは多くなってきておりましたがあくまで稲作の休耕養土の為で大豆専用に畑を用意するのはもう少し後になります。)宮川村のNさんはEM自然農法に真っ正面から取り組んでおられてその人柄も信用できる方でしたので大豆の栽培をお願いすることになりました。それは私が初めて取り組んだ契約栽培でした。(注釈・・今は当たり前に行われている契約栽培ですが、当時は難しい問題が多く、契約栽培のデリケートさは岩手県の白糸納豆本舗小岩様より体験談を伺っておりましたので不安でしたが、地元農業の将来の可能性のために行いたかったのです。その時の私の心情は納豆が特産になるのでなく、特産となった大豆で納豆を造るという感じにしたいというものでした。)大豆種子供給とコンバイン刈り取り責任を奥野が負担、EM資材はNさんが負担で間違いなく長年無農薬の畑での自然農法に取り組み、FFC資材は宮川村からの補助金という契約条件でした。Nさんの大豆の質はとても良く、もちろん市価より高く引き取りました。契約は翌年も続きましたが3年目に台風の連続で凶作となり収量全滅となりました。Nさんには当店から手間補償をさせていただいた上で次年度の栽培をお願いいたしましたが、Nさんから大豆栽培の過酷さを切々と説明をしていただき、Nさんに申し訳なく結局3年で断念いたしました。

当面の大豆ストックはあるもののこれからのことを考え悩んでいた私に声をかけてくれたのが地元の松阪農協でした。契約栽培で苦戦している私のことを聞いてきてくれた様子で(注釈・・Nさんの大豆を刈り穫るコンバイン作業を毎年お願いしていたのが松阪農協のFさんでした。Fさんが松阪農協の皆さんに事情を説明してくださったのです。Fさんは農協を退職された現在、農事組合法人を立ち上げられて大豆栽培をしてくださっています。)松阪市内に2件の専用大豆畑の農家さんを紹介してくださいました。この無農薬大豆は数年前に農薬空中散布が避けられない状況になるまで安定供給をしてくださいました。農薬散布の危機は来ましたがフクユタカを推奨品種とする三重県の大豆政策は力強くなっており、その後、地元大豆問屋のサントウ商事様、嬉野の契約農場天然食材農園二十一世紀様、先の松阪のFさんに助けていただきながら現在に至っております。(注釈・・フクユタカでは美味しい納豆は出来ないと忠告してくださった納豆屋さんもいらっしゃいましたが、当店の製造方法とフクユタカの相性が良かったということと思っていますがお客様より好意的なご感想をいただいております。)

この当店の看板商品である森の番人納豆使用大豆の幸運さは偶然の産物でなく必然の流れだったような気がします。この納豆の姿を借りて地元三重県無農薬大豆納豆を表現する“運命”だったのではないでしょうか。私は三重県大豆が全国的な特産となることを願って止みません。


“そして、宮川村ナチュラルウォーター森の番人との出会い”
大学在学中の生活、また、卒業後に松阪へ戻るまでの納豆見聞の旅で出会ったことは沢山ありました。それらを自分なりに整理消化吸収していくうちに「納豆屋になったら試したいこと」というのがおぼろげながらいくつか見えてきました。 その1つが“宮川の水で納豆を仕込む”ことでした。 三重県中部を流れる宮川は建設省が毎年検査をする全国一級河川の水質検査で平成3年に全国一位となったのです。平成3年当時、私は大学在学中でそのニュースを東京で知り、郷土の誇りとして喜んでおりました。と同時にあたりまえの存在として眺めていた河が持っていた“身近な大自然”への不思議な尊敬の念と将来へ自然を残す責任感を郷土人としていだいたのです。(注釈・・その頃、宮川の源流、宮川村では村人若者有志が自然体で臨める村おこしを有限会社森と水を守る会として準備しているところでしたが、その存在を私が知るのはもう少し後になります。)

宮川の水を使うにはどうすれば良いかなぁ?頭の中で考えるイメージは「私が毎日宮川まで車で走り、ホトリまで降りてバケツで汲み上げて納豆工場まで運び、浄水して使うかな?」(注釈・・滑稽ですがそれくらいしか思い浮かびませんでした。宮川村のナチュラルウォーター森の番人の存在を全く知らなかったのです。)そのような思考レベルですから、納豆屋稼業に入り松阪に戻った時には漠然と「宮川の水をいつか使うんだ」という願望だけが残った状態でした。

本題からしばらくズレますが、家業に入ってからの私を待ち受けていたのは、まず工場内で納豆製造作業をとりあえず一通り教わり、仕組みを二週間という短期間で理解させた上で次に各営業担当者の後ろに付いて配達営業車に同乗しての取引先巡りでした。これを二ヶ月続けた後に自らで考えて動くようにとの社長(亡き父)の方針でした。 工場内は楽しく、これまでに慣れ親しんでいた場所ですので自分の思っていたこととのギャップを埋めていくような感じでした。私にとっては二週間でも充分なペースでこれを基にそれ以降のお取り引き先様の担当者さんとのお話は商売の話だけでなく納豆よもやま話が殆どとなるくらいでした。その中で自分でしゃべりながら自己確認をしていくことが多々ありました。その中でもこのようなやりとり・・担当さん「納豆はこっちの方(中部や関西)では関東より消費少ないんやろ?」 私「いえいえ、そうでもありませんよ。大阪あたりなんかですと今の若いお母さん達が、テレビで納豆が体に良い・頭に良いと言うので、自分は食べられないのにお子さんに食べさせているんで消費が伸びているんです。まぁ、そのお子さんたちが成長してお母さんになり自然にお子さんの食卓にのぼるようになった頃が納豆の黄金期になると思うんですが・・。」 私はそのようにしゃべりながら「よし、子どもたちの味覚を創る学校給食を訪ねてみよう。将来の納豆業界を支えるのは子どもたちなのだ!」と決意をしたのです。 営業巡りが一段落して早速にお付き合いをしている給食業者さんと三重県各地域校区ルートを巡りはじめました。数週間、各地域ルートを訪れ、巡業の残された最終ルートが宮川村を含む奥伊勢ルートだったのです。

最終ルートに朝出発し、お昼を過ぎ、最後に宮川村を残すのみとなりました。国道42号線途中、車窓から水面が光の反射で輝く清流宮川を横目に私はパートナーの給食業者さんに「わたしはいつか宮川の水で納豆を造ろうと思っているんです。」とつぶやきました。すると「宮川の水なら売ってるよ〜。何なら帰りに買ってく?」とのお返事。「本当ですか?知らなかった!ぜひ寄ってください!」と私。「うん、いいよ。あ、そうだ、あそこへ行こう。」給食業者さんが連れていってくれたのが“田舎家(いなかや)”というお店でした。(注釈・・今は田舎家は存在しません。当時の村長さんが所有する土地に建っていたお店で現在は取り壊されて橋の入り口になっています。田舎家は村人の憩いのお店で昼は喫茶店、夜は食事処で会合に使ったりして私の大好きなお店でした。初めて訪れたその時はお昼休みの静かな準備中でした。)お店に入りますと優しそうなママさんが一人待っていてくださいました。給食業者さんは「ママ、さっき電話しといた件だけど“森の番人”ある?」 「うん、用意しといたょ。飲んでみて。」 とママさん。私は勧められるままグラスのナチュラルウォーターを口に含みました。「ン・・・、美味い・・・柔らかくて何か甘みがあるみたい。これを甘露というのか・・・ぬうぅ、森の番人か・・・」というような海○雄山や栗田ゆ○子みたいな口調でおもわずしゃべってしまいました。お礼の言葉を出すと同時に研究用にどうぞと、さらに数本をお土産にいただき満足のままに帰途につきました。私は口に含んだその瞬間に上質な納豆を可能にするお水だと“確信”できたのです。そしてその“確信”はこの瞬間に至るまでに別々バラバラの型・それも同時進行で意識していたキーワード達を「森の番人で私の新作納豆を創る」という“くわだて”に引き集めたのです。それはまるで「やっと我々の出番が来た!とジクソーパズルのピース達が叫びながら、自分たちの居場所へはまり込んでパズルを組みあげていくようなイメージ」でした。おかしな表現ですがそのような感覚だったのです。

仕込み試作が始まり、発酵条件の摺り合わせも行い素晴らしい質の納豆が出来上がるのを確認してあとはコストダウン、つまりナチュラルウォーター森の番人を仕入れるだけ=「森と水を守る会」へ卸取引の申し入れをする段階になりました。 が、しかし私は“おっかなビックリ”でなかなか電話をする勇気が出ませんでした。申し込んで断られたら私の夢が御破算になってしまうというプレッシャーに押し潰されていたのです。(注釈・・宮川村から松阪へ持ってきてくれるはずはないとなぜか思っていた。また、卸値が高すぎて使えなかったらどうしようという状況も考えられて夢だけを引き続き見ていたいような、でもそれではいけないと私の心は揺らいでいました。)

逡巡している私を置いて時間は進んでいきます。1ヶ月後、私に、大学時代や社会人時代の納豆見聞の旅に陰から便宜をはかり目をかけてくださっていた埼玉にある容器会社のN社長さんから「東京の納豆屋さんが見学をさせてくれるので来ない?」とお誘いの電話をいただきました。 気分転換に私は東京に向かいN社長さんと合流しました。工場見学が済み、積もる話もあり近況を報告いたしましたが、新作納豆の件は話せませんでした。別れ際、N社長さんは「今、ウチは新しいことに手掛けているんだ。実は、うどん屋と信州のミネラルウォーター会社を結びつけようとしている。美味しい水で練る麺は最高だよ。」「奥野君も水のことを考えてみたら?」と思いもかけないことを話されました。私はドキッとして「そうですね、三重県にはナチュラルウォーター森の番人という素晴らしい水があるんです。帰ったら一度訪ねてみます。」と思わず言ってしまいました。(注釈・・後日談として森の番人納豆が完成したときにN社長さんのヒントのおかげです。と言いましたら、N社長さんは「あの時はもう考えていたんでしょう?すぐに水の名前が出てきたもの。」と返ってきました。でも紛れもなくN社長さんのおかげです。)

N社長さんに言ってしまった手前、覚悟を決めるしかありません。 松阪に戻り気合を入れて電話・・「はい!森と水を守る会です!」「あのぅ・・松阪市で納豆をつくっています奥野食品と申しますが・・・あの、実は、森の番人で納豆をつくってみたく・・あ、森の番人で納豆を造らせていただきたいのですが・・・」「え、・・はい!それではすぐ御社へ向かわせていただきます!待っててください!」宮川村の奥地からO社長さんが車を飛ばして50分後にお越しいただいたのです。(注釈・・50分というのは間髪入れずに水工場から出発したということで、道路が整備されていなかった当時は1時間を目安に当社〜水工場の到着所用時間をみていました。)おっかなビックリはその時にはもうなくなっていました。その“出会い”・・・明るく、包容力があり、誠実で活力的な人柄が人を惹き付けるO社長さんと後々まで私は行動を共にさせていただくことになるのです。

O社長さんは納豆屋応接室で私の新商品への思いを受け止めてくださいました。O社長さんは私に「お気持ちわかりました!これから共に育てていきましょう!原料に使うだけでなく“森の番人”の名前も使ってください、そしてこの“森作じい”のデザインも!」今でこそ“コラボレーション”という言葉や概念がありますが、その当時はデザインコンセプトを異業種で共有することやシリーズ化というのは珍しかったのです。ましてや“村おこし”を一緒に行うなんて・・・。美味しい納豆をつくりたいとしか考えていなかった私に“村おこしの納豆”をつくる使命がその瞬間生まれたのです。

“森と水を守る会O社長さんとのセッション・お客様の反応は?”
最良の“パートナー”ナチュラルウォーター森の番人のデザインを納豆用にアレンジし、ラベルを制作し商品に巻き付ける、ようやく完成!その瞬間、「自然水納豆 森の番人」は魂を宿したのです。完成品をO社長さんのもとへ・・・。お披露目は宮川村山村フェアに決定、ナチュラルウォーター森の番人はじめ宮川村特産品と一緒に販売されます。販売はO社長さんに託します。参加できずお任せするだけの私にはお披露目でどのような反応が起こるのか期待と不安が交差していました「今までの自分の考えは正解だったのか?間違っていたのか?」審判を下されるような感じでした。200個初出荷、1日だけの勝負・・・、結果は・・・

結果は完売でした。 O社長さんのお言葉では「1番先に売り切れた」そうです。そうなのです、間違ってなかったのです、お客様に好評だったのです。それからも販売を重ね、売り切れ完売が続きました。そして新聞に紹介され、雑誌に掲載され村おこしの納豆として徐々に認知されていったのです。

奥野さん、三重県物産展へ一緒に行きませんか?」 元気なO社長さんからお誘いがありました。東京新宿の京王百貨店で三重県の物産展が開催されるとのこと。宮川村も招待され、代表して森と水を守る会が行くことになったとのことです。O社長さんのお供として参加するのです、私は「はい喜んで行きます」と返事をさせていただきました。O社長さんも私も百貨店での物産展は初めてです。(注釈・・それまで経験していたのは試食をしない販売で、百貨店物産展はいままでのイベントと違い、試食をしていただくのが基本なのです。)右も左も解らない二人でしたが元気と勢いで乗り込んでいきました。宮川村は招待出店でしたので大画面テレビに映る宮川村の四季大自然、大音量のPRビデオをバックに宮川村特産品を並べました。初めての試食販売ですが、試食を作っても作ってもすぐ無くなります。すごいお客様の人数です。私は初日で声が涸れて出なくなりました。のどがつぶれたのです。(注釈・・2日目、森の番人ナチュラルウォーターを頻繁にのどに流しながら過ごしたら3日目から声が戻りました。それ以後のどがつぶれることはありません。)O社長さんはペースを崩さずに元気に接客を行っていました。さすがです。その頃にはもう私はO社長さんを兄のように、先輩のように、先生のように慕う気持ちになっていました。

納豆は物産展ではなかなかお目にかかれない珍しい商品です。 売り手にとってはスーパーで買える当たり前の食べ物であり、安く、賞味期限も短いのでまとめ買いもお客様はしないし廃棄処分のリスクもある、また、試食を作るにもネバネバして作りにくい。まさに納豆は売り手にとっては扱いづらい代物なのです。その珍しい挑戦者、納豆が試食で誘っているのです。お客様はわざと誘いに乗ってみます。口に入ってからお客様は感じます、それが“今までの納豆”と違うことを。私はこの納豆の物語をお客様に伝えます。お客様は考えます。そして答えを見つけます。物語を受けとめていただいたのならば森の番人納豆は食卓をいろどっていることでしょう。(注釈・・試食の納豆を食べていただいたお客様にナチュラルウォーター森の番人の試飲をしていただきます「これでお口をサッパリさせてください。このお水で納豆が出来ているのです。」その言葉でO社長さんにバトンタッチ。O社長さんの場合は試飲していただいたお客様に「おいしいお水でしょう!大自然のお水です。これでコーヒーをいれてもお茶をいれても味を引き出します。お米を炊いても美味しいですよ。そしてこちらがその使用例として納豆を造ったんです。水が違うと納豆も違いますよ。美味しいんで試食していってくださいね。」とお客様を納豆の方に。相乗効果でお客様も私たちも大満足で時間は進んでいくのです。)

森の番人納豆を試食していただくごとに不安感は無くなっていきます。いままでのお客様のお言葉・・・「最近大きい粒の納豆は無いよね。やっぱり大きい方がお豆の味がしっかりするよね。」「あ〜ワラの納豆だ、いいねぇ、なつかしいねぇ。味も昔の納豆の味だ。これだよ、これ。いま見かけないよね。買うよ。」「うん、臭いがしない。これなら食べられる。」「このおじいさんのキャラクターかわいい!え、お水といっしょなの〜!?すご〜い。」「このおまめ美味しい!うん、無農薬だからか、じゃあお値段高いけど買ってく!」「この子は合わないものは口から出すんだけど、食べちゃったね〜。これ、5個いただいてくワ〜。」「わたし、小さい粒しか食べないのよね〜、でもそこまで勧めるのなら試しに食べてみるかな。・・・・あ、食べられる!柔らかいね〜。これだったらじゃあ買っていくわね。」etc・・・お客様との会話の中で教えられ、気付き、勇気をいただき、確信を得る・・その繰り返しでした。

その確信には
・大きい粒を使った納豆には豆の味が反映されること。
それは豆の“ごまかし”が効かないこと。良い大豆を使わなければならない。無農薬の大豆にはエグさが無いのがお客様から教えていただけました。
・ワラ納豆は日を経ればだんだん味にまろやかさが出てくること。
森の番人納豆では3日目から美味しくなってくる。それまでは味が若い青さがある(もちろん、この若さが良いというお客様も存在する)。
・豆の堅さ柔らかさの表現に注意すること。 “ほどよい歯ごたえ” を当店は目指します。
それまで地元の先輩から「東京納豆は硬い。他の所の納豆みたいに柔らかくせな売れへんで」と言われていたが、食べ比べている中でそれは大手メーカーさんの納豆は潰すと豆が「グリュ」とそのまま砕けるような感じで、当店の納豆は豆が活きているような歯ごたえがあり、「柔らかい」という表現は別のところにあるのではないかと思えるようになっていたのです。そして物産展にてお客様より「柔らかいね、豆がホックリと炊いてあるようだねぇ。」とのお言葉をたくさんいただくようになり、その感覚に確信が持てるようになりました。
・“冷凍でまとめ買い”そのご案内は押し売りでなくお客様にも有益なこと。
10日間の賞味期限ですが10個以上買われるお客様もいらっしゃいます。気に入ったから、まとめて買えばお得(イベント会場では、まとめ買い値引きサービスをしています)だからということなのですが、冷凍保存をすることで納豆の長期保存が可能になります。まとめ買いをお勧めするのに最初は押し売りするようで自分自身で言い辛い思いをしていたのですが、お客様がお得に買えると思えば長期保存の方法をお教えすることがお客様に有益になるということが、お客様からいただく「ありがとう」というお言葉で解りました。
・お客様は生産者を信じてくださること。
お客様は商品を見ると同時に人間も見ます。商品を買うということはその販売者の人間性を買う(=信用を得ること)ということ。幸い私は生産職人です。裏表の無い接し方は生産現場からでないとボロが出ます。偽りのない現場のそのままをお伝えすることがお客様の不安感の払拭になるのだとお客様とのお話でいつも心に刻まれます。至らない点はお詫びする、初めてお聞きする知識にはそのまま驚き、嬉しいお言葉をいただいたら満点の笑顔で感謝する。そのような自分でお客様とお話しできますよう心がけております。

“自然水納豆 森の番人 エピローグ”
完成から年月が経ち、取り巻く環境、社会は変わりました。私の周りを見回してみましても、宮川村の喫茶店「
田舎家」は村の架橋事業地点となったために無くなり、O社長さんは会社を退社され、醤油屋さんA氏も定年退職をされています。私自身も社長である父が他界し、最後まで庇ってくれる存在が無くなり、これから独り立ちをしていかなければなりません。この“自然水納豆 森の番人”は私の納豆人生そのものであり、素晴らしき先輩、仲間、後輩との出会いもこの納豆からでした。それは私に家業を継いでいくようにと願う父への返事でもありました。落ちこぼれの息子でしたが独りでは何も出来ないことだけはわかりました。そのことはこの納豆がたくさんの方々のお力添えをいただいたからこそ完成したその経緯が物語っております。これからも私は素晴らしい皆様と一緒に生きていくのでしょう。皆様を笑顔にするこの“自然水納豆 森の番人”を造り続けるために・・・。



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