「松阪から四季 納豆の如く」



納豆職人 奥野 敦哉

「第二十三章  前社長3回忌を終えて4」
この題材も3回続き、私の納豆職人になるまでを振り返る(最初は前社長=私の父の3回忌を終えてここまでの私の社長生活の検証文章を書くつもりでしたが)ことを綴ってまいりましたが、納豆の話題とは離れる部分が多いので何とか本題、納豆に関する話題に戻る努力をしたいと思います。

前回で話は私が大学時代の東京から実家に戻る、家業の奥野食品株式会社に入社するまでの中盤から終盤、東京生活の環境と恩師のことについて触れました。それまでの自分では考えられなかった"意外な生活"を送っていたというところでしょうか。今回はその続きを書いていきたいと思います。
大学も4年になり、就職活動をはじめる時期になりました。同級生たちが正月前の3年生時点から布石を打ってきている中、私が活動をはじめた時期は5月、そろそろはじめようかなというようなのんびりしたものでした。その頃の私は「珈琲館ばるばど」でのアルバイトが楽しく、学ぶことも多かったのでアルバイトの方が重要でした。これは我ながら世間知らずなズレたものだと思います。このマイペースさは自分らしいのですが・・・。
美納豆 真珠

 さて、肝心な就職希望としてですが、何年先になるかわかりませんが将来実家の納豆屋を継ぐことを前提としていましたので、実家に戻った際に役に立つ経験のできる場所をと考えていました。実家の父は就職先の枠を決めることはなく、見守っていてくれました。私の考えたことは、@他の納豆メーカー・納豆屋で修行はしない。Aやはり食品関係かな。好きだし。Bこのまま東京で生活したいな。安家賃アパートも変わらずに。もし自転車で通勤できれば最高。C総合的な仕事(食品にとらわれない)をするのもいいな。という漠然とした感じでした。@は納豆作りというのはやはりそれぞれの製造所の構成・地域・気候風土・歴史で決まっていきますのでウチ以外の納豆屋で働いて技術を身に付けても余分なものになる、最初のまっさらな初心者が他の色に染まるべきではないと考えました。自分のところを身に付けてから他所の技術を参考にするのはとても良いことなのですが。ということで大事なのは自分のウチの工場の技術習得であってそれを中心に考えるのが正しいと今でも思っています。Aはスーパーとかレストランチェーンとかで、どちらかというと食品メーカーは外れるような感じ、流通システムや末端消費者と接するような仕事がしたいと思いました。これは将来具体的に役に立つかどうかはわかりませんが。父もスーパーは良いんじゃないかと考えていたようです。Bは生活の拠点を変えずに行動したいと思いました。新大塚に愛着もあり、古いアパートも自分にとっては居心地も良いし、自転車で池袋や巣鴨、後楽園、目白へ行けるのも気に入っていました。交通機関も使いやすいのもあり、買い物も商店街でまかなえる。生活のペースをすでに掴んでいますので変化は最小にしておきたいという気持ちもありました。Cはまったく畑違いの経験をするのもプラスになるのではないかという気持ちもありました。事実、後年、お付き合いをすることになります、他の地域の納豆屋さんたちで納豆屋になる前は全く関連のない別の職を経験している方々とお話をしてみますとそれが役に立っているとお聞きします。これは納豆屋に限ったことではないのですが。

そのような観点から就職希望先を考えていきました。まず、食品スーパーチェーンの株式会社マルエツ様。マルエツは日本最大級のスーパーマーケット流通網を持っている会社で、本社が珈琲館ばるばどの近くでした。それがゆえに社員で常連の皆様も多く、就職内定がいただければこれほどシンプルなはなしはありません。就職活動スタートの入社試験として臨みました。が、しかし、不合格でした。私は入社試験、特に適性検査に関して何も対策を取っていなかったのでした。甘く見ていたというよりは大学入試のトラウマで、表現は難しいのですが、一生の中で一番過酷な競争は大学入試としておきたい(大学入試みたいな打ち込み方はもう一生したくはない)という感覚だったのです。入社試験は人間性を可能性を意欲を判断してもらうものと考えていたのです、その時点ですでに情報不足であり、甘かったのですが・・・。自分の感覚として、PR出来る誰にも負けない大学生活の充実度があり、情熱も自信がありましたが、適性検査の点数が最下位では何を言っても無駄です。最下位の結果は、ばるばど大内店長が心配をし、内緒で聞いてくださったのです。私はショックでしたが、納得も出来ました。それから本屋へ行き入社試験適性検査ドリルを購入し勉強したのです。

次の入社試験先は株式会社 サンシャインシティ様でした。池袋のサンシャイン60を中心とするサンシャインシティを運営する会社です。食品に直接関係はありませんが、街づくりをするということに私は憧れており、私の第一志望(採用枠が少なく高望みでした)の会社でした。これは自分の志望動機BCにも当てはまり、ダメで元々挑戦をいたしました。やはり最初は適正検査で自分の特訓の成果を見せるときだと集中いたしました。結果は1000人近く(と聞いていますが定かでない)の中から二次試験200人の中に進みました。その後、面接では学生プロレスや岩崎ゼミ、ばるばどでのこれまで体験してきたことなどを織り交ぜ、自分の考えを答弁していきました。そして、何回かの面接試験を重ね、最終試験の7人に残り、合格を確信していました。が、結果は最終試験で不合格。今回は本当にショックが大きかったのです。ばるばど大内店長からは結果を電話するように言われていましたので不合格の結果を報告いたしました。電話口で大内店長は「もう、いいじゃないか。ばるばどへ来いよ!」と励ましてくださいました。それは、珈琲館ばるばで正社員として就職しろよという意味でした。

 珈琲館 ばるばど
恐らく、大内店長は菅谷社長に頼み込んでくださったのだと思います。私がお店に顔を出したときには菅谷社長はいつもと変わらない雰囲気で自然とその話になっていました。先程まで就職活動をしていた人間が言うことではないのですが、正社員を入れるということは会社にとってとても勇気が要ります。本来、会社にメリットがないと採用してはいけません。そのリスクを犯して私を正社員採用に考えてくださったのです。感謝の気持ち嬉しさがどれほどに大きかったか表現しきれません。

菅谷社長から採用の時にお話があったのは、前もって報告があれば希望通りに休日を合わせようというものでした。これは、働きながら各地へ納豆勉強の旅に出なさいという意味で、私の将来のことを考え含めてのことでした。そのことは一緒に、必ず三年は少なくとも働くようにという言葉もいただいています。こちらの意味は私に名店ばるばどのノウハウを全て詰め込み、もし、納豆屋で失敗したとしても珈琲店で生きていくことが出来るようにということでした。それには少なくとも三年間の英才教育で身につけさせようという親心でした。ばるばどに就職することを父に報告いたしました。父は認めてくれました。その後、日を置いて松阪から出てきて社長と店長にお世話をおかけしますと挨拶をしてくれました。

かくして私はアルバイトから4月1日付けで珈琲館ばるばど正社員となり、珈琲職人修行と納豆勉強に入ったのでした。
次回は納豆屋に戻る(入社)エピソードです。
お楽しみに。
真珠納豆ポップイラスト



※ 大学生生活
学生プロレス花盛りの時代で、私の大学、大東文化大学は関東きっての大所帯の団体でした。まさに個性の集まりで選手としても得がたい体験をさせてもらえました。学生の本分、勉強においては経営診断の大家、故・岩崎庄一教授とゼミの仲間との充実した宝のような時間を過ごすことが出来ました。


※ 「珈琲館ばるばど」は社長菅谷氏、店長大内氏のダブルマスターで切り盛りしています。東京新大塚になくてはならないお店。常連のお客様それぞれに合わせたサービスを心がける都内有数の珈琲専門店。会社としては「有限会社エスエフシー」。今でも自分の名刺は大切に持っています。

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