「松阪から四季 納豆の如く」



納豆職人 奥野 敦哉

「第二十二章  前社長3回忌を終えて3」
前回、前々回に続きましてこれまでの私の職務人生を振り返るエッセイの3回目を続けさせていただきます。前社長=私の父の3回忌を終えてここまでの私の社長生活の検証文章を書こうと思うようになった次第なのですが、私の社長生活の検証というよりはそれ以前からの回顧(経歴)となってしまい、また今回も納豆の話題とは離れる部分が多いのですが、お付き合いをお願い申し上げます。

前回まで話は私が大学時代の東京から実家に戻る、家業の奥野食品株式会社に入社するまでの途中部分、大学生活と恩師のことに触れました。私の人間としての基幹が形成されたところだったと思います。それ以後経験してきたことは肉付けとなって今に至っています。そのとき自分にとっての青春があり、今もまだ青春が続いているそんな感じです。今回はその東京での青春、生活習慣を思い出して述べていきます。テーマは"自分の意外性"というところでしょうか。
さて、大学生活後半は社会勉強としての「珈琲館ばるばど」でのアルバイトシーンと学生としての岩崎ゼミのシーン、サークル活動でのシーンに分けられます。没頭したのです。親元を離れるのも初めてなら、自炊も試行錯誤でしたが、独り暮らしの中に「勉強の面白さ」を知ったのも生まれて初めてでした。

伊勢納豆石笛

一般社会との接点、それは「珈琲館ばるばど」でのアルバイトに集約されていました。恩師二人、社長・店長よりの指導(学生なりの甘さが私にあったのが事実ですが)はもちろんですが、来店される常連のお客様は皆様、社会での熟練者、最前線で頑張られている方、自分の人生を大切になされている皆様、そのような方々が何かを求めて来店されるのです。美味しいコーヒーを飲む満足、マスターとの会話、それは戦いの最中のしばしの心の潤いかもしれませんし、準備を整える心のストレッチ体操かもしれません、状況によってはオーバーホール・気持ちの整備工場とされている方もいらっしゃることでしょう。はたまた、空気を吸うが如く、起きたら歯を磨くが如く、寝る前にお気に入りの曲を聴くが如く、当たり前に日常の生活リズムのひとつに組み込まれている方もいらっしゃるのかもしれません。そのお客様方とマスターお二人の何気ない会話の端々に人生の機微が見え隠れし、自分の居る場面の貴さ、幸運さを感じることができました。今思うととても居心地の良い(緊張感を持った上で)修練できる時間だったのだと振り返れます。

岩崎ゼミでは、ゼミ長をさせていただきました。とはいっても、8人メンバーで前後期2年間、ゼミ長と副ゼミ長をまかないますので、ゼミ長か副ゼミ長を必ずすることになるのですが・・・。まあ、メンバーが集まったすぐの3年前期ゼミ長でしたので、岩崎先生も私に何かを期待してくださった、みるべきものを感じてくださったと信じることにします。

お試しCセット

私は自分から周りの人々に話しかける性質ではありませんが、その当時は自分の殻を破るためにもがいていました。例えば、周りの人に自分から話しかけ接近していったり、陽気であったり。それはリセットされた自分の状況だから、自分の苦手な部分を得意分野と演じ、元来持った性質の如く成り切りました。自分の知らない自分の可能性を知る手立てと考えていたからです。人はすぐ変われませんが、また、生まれ持った性質は変わらないといわれますが、自分は「変われなくても良い、知っていれば良い。そのような自分の引き出しを作っておけばよい」と感じ、日々臨んでいたのです。ゼミのメンバーは7人とも個性的な人物で愛すべき仲間でした。メンバーの結婚式以来会っていませんので、文章を書くうちに久しぶりに会いたくなってきます。会えばまた当時の成功も失敗も、良いところも悪いところも復習できるかと思います。

それは同じくサークル活動にも当てはまることで、その時の気持ちを思い出し、再認識するところに失敗してきた意味、成功してきた意味が自分のものになると思えるのです。サークル活動始めの件は時期的に岩崎ゼミより前の話になります。私はサークル活動として学生プロレスに身を投じました。それは入学してから1年半が過ぎた大学2年生の途中からでした。当時私はプロレスに対して思い入れも無く知識もありませんでした。その私が大東大プロレス同好会DWAに入部したのは、大学に入学して最初に声をかけて受け入れてくれた仲間4人のうちの一人、一倉和昭君が誘ってくれたからでした。DWAの活動は1年時より一倉君から聞かされていましたが、自分が関わることになるとは全く考えませんでした。入部に至るまでの流れは、ある春の日、講義も終わり、帰り道、一倉君は板橋キャンパスにて行われるDWAミーティングに参加するため、途中まで電車で一緒でした。その席で彼から「奥野、おまえ、良いガタイしてるな、プロレスやらないか?」と誘われたのです。そのときの私には不思議に違和感がありませんでした。何か「来るときが来た、時は今だ」というような感覚でした。私はその時までどこのサークルにも所属してはいませんでした。入学時には大学生気分を満喫してみたく「エンジョイ」できるようなPOPなサークルに入りたいなと思ったりしましたが、結局面倒臭くそのままどこにも加わらないまま2年生まで来たのでした。ここで生活の変化も良かろう、いや、自分には変化が必要だと感じたのです。また、私自身は体調管理のために浪人時代から始めたストレッチ体操とランニングを続けていました。自分自身、体には自信があり、その中でも頑丈さなら誰にも負けないとひそかに思っていました。私は一倉君に「入部する。」と躊躇無く返事をしました。人生の何か歯車が回り始めたような、それまでの平穏な生活から一気に波乱に富んだ生活に変わっていきました。体を動かす動機は体調を整える運動から鍛える修練となっていきました。合同練習は毎週日曜、ミーティングは木曜というサイクルでした。DWAの皆は温かく仲間に加えてくれました。学生プロレスでは他に華麗なアクロバッティングなものから、コミカルなもの、関節技や蹴りなどの格闘するものがありました。私はといいますと、不器用でプロレスの知識もありませんでしたので、体が頑丈だったこともあり無骨な痛さの伝わってくるものが多かったです。この中で過ごせたことは、強烈な個性の面々に出会えたこと、一緒に行動できたこと(日常では縁のない大舞台も経験できました)、いまだに仲間であることです。


フラワー納豆
岩崎ゼミ他講義に板橋キャンパスへ通い、講義のない日は珈琲館ばるばどにて働き、夜はランニングと筋力トレーニング・区民プールへ水泳トレーニングにいそしむ日々でした。そのような中で岩崎先生からは「とにかく本を読みなさい」と指導をいただいておりました。先生は経営者の自伝、政治家の自伝、経営分析などの実践的な本をたくさんお貸しくださいました。亡くなられた岩崎先生の教えは今になっても自分を助けてくれています。同じ頃、DWAの尊敬する先輩のひとり、鹿野利之先輩がこれを読めと五木寛之「青春の門」と坂口安吾「堕落論」をお貸しくださいました。自分にとって青春とは?大学とは?今の自分の存在とは?と自分について考えるようになりました。

また、ばるばどでは大内店長より司馬遼太郎「竜馬が行く」「燃えよ剣」、吉川英治「宮本武蔵」を薦められ読みました。男の生き様といいますか、物事への取り組み方、そしてロマンを示してもらいました。大内店長はこの本を借りるのではなく買って読むように指示されました。これは重要だったと思います。同じように岩崎先生も貸した中に気に入った本があったならば一度読んでいるとしても改めて買い求めるようにとおっしゃっていました。

それまで本を読む習慣の無かった私でしたが大学生後半の2年間で尊敬する方々からの影響でいつのまにか本を読むのが身近になっていたのです。心と体と想像力=創造力・頭のトレーニング、これが自分の新作納豆創りの基本となっています(体は現在なまっていますが・・・)。
次回も続きましてこれまでの検証(就職活動など)を行ってみます。お楽しみに。



※ 一倉君は群馬県渋川市の株式会社一倉商事を経営されています。
http://www.ichikura-s.co.jp/index.html


※ 大東文化大学プロレス同好会DWA
当時は部員40人を越え、大学単体では大所帯。現在は競技を行っていない。通常、学生プロレスは複数の大学が集まり、団体をつくり、共同でリングを持つものでしたが、DWAは独自にリングを所有し、単体での興行が出来ました。大東大東松山キャンパスでの新入生を前に行う春の大会、友好団体HWWAの一橋大学にて共同で行われる小平大会、大東大板橋キャンパスの学園祭(体育館がお客様で満員になる、大東祭のメインイベントのような位置付けでした)で行われる大会をクライマックスに一年間興行を行っていた。当時の選手はいまだに全員がすぐにでも現役復帰できるように日々を過ごしている。

※ 「珈琲館ばるばど」は社長菅谷氏、店長大内氏のダブルマスターで切り盛りしています。新大塚になくてはならないお店。常連のお客様それぞれに合わせたサービスを心がける

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