「松阪から四季 納豆の如く」 納豆職人 奥野 敦哉 |
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「第二十一章 前社長3回忌を終えて2」 |
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前回に続きましてこれまでの私の職務人生を振り返るエッセイを続けさせていただきます。前社長=私の父の3回忌を終えてここまでの私の社長生活の検証文章を書こうと思うようになった次第なのですが、私の社長生活の検証というよりはそれ以前からの回顧となってしまい、そこがまだ続き、納豆の話題とは離れますが今月もお付き合いをお願い申し上げます。 |
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読者の皆様も読んでいてつまらなかったと思いますので次に進みます。動きが出てきたのは2年の夏頃、次の年からの板橋キャンパスへの通学に備えて鶴瀬のアパートから東京大塚の古アパートへ移ってからです。こちらも静かな場所で鶴瀬より間取りは狭くなり家賃は上がったものの、建物が古かったからでしょうか、都内では格安の良物件でした。住まいが落ち着き次にすることはアルバイトさがしでした。まず、自転車で街をゆっくり走ってみてさがそうかと思いました。 | ロケットワラ |
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それまでアルバイトはハンバーガー屋にはじまり、居酒屋パブ店員、交通整理、警備員、自転車撤去作業、変わったところではテレビエキストラなどを行ってきましたが、新しい街で生活を始めますので近くで安定したアルバイトを経験したかったのです。 しばらく自転車に乗っていますと目に喫茶店が入り、アルバイト募集のポスターが貼ってあるのがわかりました。以前、第六章で触れました「珈琲館ばるばど」です。私は思い切ってお店に入りカウンターに座りました。コーヒーをいただくと私にとって違和感のない美味しさでした。意を決して、私はマスター(社長)に「アルバイトは募集していますか?」とお聞きしました。マスターは「大丈夫だよ。もしよかったら働きなよ。」とおっしゃってくださいました。私は「はい、ありがとうございます。また考えます。」と訳のわからない返事をしてお店を出ました。そのとき、自分では他にアルバイト先をさがすのはやめようと決めました。が、ばるばどで働くのにもためらいがありました。実は夏休みが間近で1ヶ月ほど松阪に戻る予定だったのです。タイミングが悪いのにアルバイトの申込をしてしまった自分の拙さにあきれ、マスターに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。これでアルバイトはダメになるだろう、これからお店の近くを通るときは気まずいだろうなと思ったりしました。 |
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たぬぷ〜大きいぬいぐるみ |
そして1ヵ月後、東京大塚に戻り、恐る恐るばるばど店内に入り、コーヒーを注文し、しばらくしてマスター(社長)に「アルバイトは募集していますか?」と同じセリフで聞いてしまいました。社長は「君は7月○○日の○時くらいにアルバイトのことを聞いた子だね?大丈夫だよ。働くかい?」とおっしゃってくださったのです。私はホッとしたのと同時に前回の日にちと時間を憶えておられたことに驚きました。プロフェッショナルとはこういうことなのかと感じたことを思い出します。それからは残りの学生時代はアルバイトで、そして実家へ戻るまで正社員として社長と店長のお二人に手ほどきを受け、社会人としての心構えをはじめ数え切れないほどのアドバイス・ご指導をいただきました。ばるばどのおかげでとても充実した学生生活を送れたと今も思っています。 |
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※ 大東文化大学 駅伝とラグビーの強豪校として有名。所在地は東京板橋区の「板橋キャンパス」と埼玉県東松山市の「東松山キャンパス」がある。何の疑問も持たず西洋化にただひた走る日本を憂えて自国の文化、そしてアジア文化のたしなみを根底として西洋文化を理解し吸収していくことを校風に「東西文化の融合」を建学の精神として現在に至っている。イメージカラーは「モスグリーン」。 ※「珈琲館ばるばど」は社長菅谷氏、店長大内氏のダブルマスターで切り盛りしています。新大塚になくてはならないお店。常連のお客様それぞれに合わせたサービスを心がける都内有数の珈琲専門店。その空間は近所のおじさん、紳士淑女から女子高生まで幅広く愛されている。ちなみに第六章では「ばるばど」はポルトガル語で「あごひげ」の意味と説明しましたが、ポルトガル語ではなく、スペイン語が正解です。
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