御城番屋敷と呼ばれるこの建物は、松阪城三の丸跡風情を残した裏門跡から搦手門跡を結ぶ石畳の両側にたたずむ武家屋敷で、「苗秀社(びょうしゅうしゃ)」という会社に管理されている。
「苗秀社」とは松阪城の警備を任務とする紀州藩士達、その屋敷の住民の子孫で今も変わらず御城番屋敷で生活している。
御城番紀州藩士の家柄は徳川家康の先鋒隊横須賀党であり、家康の息子、初代紀州藩主頼宣の家臣として付き添い、藩命で有事には紀伊田辺の安藤家に助勢するように田辺へ遣わされ代々田辺へ住み着いた藩主直属の家臣であった。
しかし、230年余り経った安政2年(1855)、突如、安藤家の家臣となるよう決め付けられた。直臣(藩主直属)から陪臣(藩主の家来の家臣)となったのである。抗議したが認められず、藩士身分の生活より武士の誇りを選び浪人する事となった。
浪人生活は6年にもなったがその間、直臣復帰の望みを捨てず、帰藩嘆願を続け、ついに文久3年(1863)紀州徳川家菩提寺である長保寺住職、海弁僧正の支援から直臣としての帰藩が成った。田辺安藤家から離れた地であり、紀州藩管轄地でもある松阪城の御城番として迎えられる事となったのである。
そして明治維新を迎え、身を持ち崩していく武士階級が多い中、苦労して勝ち取った武士の誇りの象徴である武家屋敷を守っていくため「苗秀社」を設立し団結して時代を乗り切っていったのである。先祖の苦労と団結力を教訓とする直系子孫の守る御城番屋敷の町並みは全国でも稀な昔のまま大切に美しく保存され、松阪市民の目を楽しませている。
現在、そのうちの1戸を松阪市が借り受け一般公開をしている。
入場料無料
開館時間 10:00〜16:00
休館日:月曜・年末年始
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